私が「いのちの授業」を始めるときに、まず相談したのが東北大学小児科の田中総一郎先生でした。「奇跡がくれた宝物―いのちの授業」も総一郎先生のメッセージから始まります。それを2回にわたって紹介します。
所長 小沢 浩
「はじめに(その1)」
いのちの授業のことを、ときどき小沢先生と話をします。形として見えにくい「いのち」の大切さを子どもたちに分かりやすく伝えるにはどうしたらいいだろう、たった一つしかない自分の「いのち」を子どもたちにどう感じてもらったらいいかな。そして、私たちとともにいる障害のある子どもやそのご家族が「うまれてきてよかった」と思えるような社会になればいいのにねって。
仙台版の「いのちの授業」を紹介しますね。
いのちの授業の10日くらい前、子どもたちに宿題を出します。授業は、その答えを紹介するところから始めます。
@「いのちのはじまりはいつ?」
多かったのは、お母さんのおなかの中、うまれたとき、この二つです。その他に、初めておぎゃーと泣いたとき、名前をつけてもらったとき。父母にうまれてほしいと望まれたとき、人に良いことをしたとき(中学一年生の子ですが、素敵ですね)。
A「いのちの終わりはいつ?」
ほとんどの子が、死ぬとき、心臓が止まったときと答えていました。他には、脳の活動が停止したとき、人とかかわりをもたなくなったとき。満足に生きたと思ったとき、精一杯生きたあと。
B「いのちはどこにあると思う?」
これには、いろいろな答えがありました。こころ、心臓、自分自身、脳、正直に分からないと答えてくれた子。そ
れから、地球、やさしさ、人と人のあいだ(素晴らしい感性ですね)。
C「あなたがうまれてきたときのご家族の方の気持ちを聞いてきてください。」
最高にうれしかった、やっと会えたね。神様からの贈り物だと思った、産んだ痛みを忘れるくらいうれしかった。そして、一番多かったのが「うまれてきてくれてありがとう」でした。
あなたがうまれてきたとき、ご家族はこんなにうれしかった。あなたはそこにいるだけで人を喜ばせることができる、そんな存在なんだね。
「うまれてきてくれてありがとう」という言葉は、子どもに「愛されている」安心感を与え、「自分は生きていていい存在」という生の確証と、「あなたは生きていてほしい存在」だよというメッセージを伝えています。そして、それはとなりに座っている子も同じ、大切な存在です。
いのちを大切にするということは、いま、目の前にいる人と自分を大切にする、そんなことからはじめられるねと子どもたちに伝えます。
2014年5月
東北大学小児科 田中総一郎
『奇跡がくれた宝物−いのちの授業−』
小沢浩著、クリエイツかもがわより
デスクトップにダウンロードして、ご覧下さい。
なごみつうしんNo.6