地域生活を考えよーかい

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遷延性意識障害者と家族の会「ひまわり」および会場にお集まりいただいたみなさんへ

掲載日:2014年9月27日(土)

mailto:kunimoto@kangae-yo.com

遷延性意識障害者と家族の会「ひまわり」および会場にお集まりいただいたみなさんへ

有限会社しぇあーど李国本修慈

 9月もあっという間に月末となり、随分と前からご依頼いただき、楽しみにしていた日がやってきまして、とっても喜んでいるところです。

 会の代表・浅野猛さんには一昨年、私なんぞの研究事業にご協力をいただきありがとうございました。また、全国会のみなさん(特に関西にお住いの方々)にはとっても親しくさせていただいておりますことも感謝申し上げます。

 今回は、テーマを「みんながご機嫌に暮らしていくために」ということ(に私の方で決めさせていただきました)でお話しをさせていただきながら、みなさんといろんなことを考えていければと思います。

 先ず私のこと及び私たちの法人のことですが、兵庫県伊丹市というところ(阪神間の北部、大阪空港の在るところです)で居宅介護や移動支援、訪問看護に短期入所等の事業を行いながら、誰もが暮らせる地域を創っていければという思いで活動させて頂いています。

 私たちは障害の種別や程度、有無に捉われず、私たちの力(なんとも微力なんですが)を借りたいといわれる方々、あるいは私たちが一緒に居たいと思う方々との関係を大切に2003年4 月(ちょうど、支援費制度が始まった年ですね)に伊丹市で活動を開始していますが、結果的に「重症」あるいは「超重症」等といわれる方々との関わりが多くなり、他市の方々(尼崎市・西宮市・宝塚市・川西市)との関わりの割合も多くなっています。このことは私どものケア、あるいは支援・介助・介護が特に優れているということでは全く無く、おそらくそういった方々が利用するモノ(サービス?)が、未だに足りていないということだと思われます。

 私自身は1990 年代から「障害福祉」や「医療」等に関わりだし、その後、今のような活動(障害児・者と言われる方々らへの生活支援等という)を始めたのですが、当時望んでいたこと、例えば「ヘルパーの確保」だとか、「レスパイト」、「自立生活」「日中の活動場」等の言葉が制度となって整いだし、その後、障害者基本法の改正(障害の定義の加筆等)や障害者権利条約の批准、障害者差別解消法等も成立していきました。

 しかし、未だに当時「生き難い」、「思う様にサービスが利用できない」と仰っていた方々と同様な方々が存在し続けているという事実を私たちは実感として持ち続けている中で、作りあげられていく仕組み(制度だとか)に対しての向かい方、あるいは作られてきた仕組みに依存して(あるいは依存させられて)きたことへの顧みも含めて、今後のことを考えなくてはならないのではないかと思うところです。

 「ひまわり」のみなさんも地域性(地域格差)もあるのかと思いますが、整ってきた制度と必ずしも比例して「暮らしやすさ」が増してきたことを充分に感じることができないと実感されているのではないかと思ったりしています。

 それでも、ご本人自身のお力と周囲の者との関わりでご機嫌に暮らしていらっしゃる方々も多くいらっしゃり、そういった方々をご紹介させていただきながら、大切なことについて考えていければと思っています。

 大切なこと、ひとつは今、「命」そのものが選別、あるいは無くても(無くなっても)よいものかのように考えられつつあるような(例えば無益な医療『論』や尊厳死という言葉の中に感じ取られるモノ)空気が迫ってくる中、まさに遷延性意識障害や超重症等といわれる方々らが「命」をしっかりと持ち「生きよう」としていること。そして、そのことが周辺の者、関わる人たちの価値観を変容させてきたことを私たちは経験してきた中で、まさにそのこと=彼女・彼らが生きんがために居る(おる)ということが彼女・彼らの「社会的はたらき」であり、地域社会を変えていく、社会を創り出す源になるものだと思います。

 そして、大切なことのもうひとつ、高齢化社会に向かうこの国の中で、死ぬ場所が病院には無くなる(ベット数が足りない等)という背景のもと「在宅医療」等が整えられ、また「NICU の満床問題(あるいは出口問題)」という背景のもと「小児在宅医療」等が徐々にではありますが普及しだしていますが、最も大切なことは、社会背景のみによって動く、あるいは動かされるということではなく、個々の方々(高齢者や重症等といわれる方々ら全ての)が「何処で如何、誰と暮らして(生きて)」行きたいのかを基軸にして我々事業者等といわれる者たちを含んだ人々が共に社会背景を創っていくことが必要だと思います。

 2025 年問題などといわれる時代に向かって私たちは「ひまわり」のみなさんたちと共に障害のカタチの違いや障害・高齢・こども等の違いに関わらず、まさに個々の「思い」を源に社会を創り出していくということを共通認識しながら連帯していくことが望まれているように思えてなりません。どんどんと暮らし(生き方)が計画化され、業(サービス)の中でしか暮らしの在り方(あるいは生き方)を作り出せない(決められない)ということになっていくように思える中、意思決定支援であるとかサービス等利用計画等ということのみに嵌まり込まない、嵌め込まないということを少なくとも私たち(支援者という者たち等)は持たないといけないのではないかと考えています。

 そのためにも、全ての人の存在の価値の明確化を如何に推し進めていくことを考えることが大切なのかと思います。おそらく今回の会場には「ひまわり」の関係みなさ以外の方々もお集まりになっているのかと思います(私を含めて)。「繋がる」あるいは「ネットワーク」という言葉が盛んに使われますが、実際にお出会いする機会をできるだけ繰り返し作りながら、真の意味での「連携」「連帯」ということを考え、実践していければと思っています。

 「ご機嫌な暮らし」。様々な「機嫌」がある中で、それぞれの人のそれぞれの存在の価値をしっかり明かしていくこと、そして多くの方々と一緒に考えること、考え続けること、諦めないこと、おもろがる(楽しむ)こと、それらのこと(しか言いようがなくて、すいません)が、やはり大切であるのかと思います。

 今回「ひまわり」のみなさんにお会いできたことを喜ぶのと共に、単なる一度のお出会いではなく、繰り返し関わらせていただきながら様々な事を一緒に考えていけることを願っています。ありがとうございました。


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