地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

東葛重心シンポでみなさんと考えたいこと

東葛重心シンポのお話し内容です

作成日:2011年1月12日(水)
掲載日:2011年1月14日(金)
報告者:特定非営利活動法人地域生活を考えよーかい
(又は、重症心身障害児・者といわれる方々らと共に生きる会:通称/ラーの会)
李 国本 修慈
mailto:kunimoto@kangae-yo.com

 新年となって、凄まじい寒波がやってきたりと寒い日が増えています。
 東葛シンポも週末に迫り、この時点で(私にとってもけっこう大きく微妙で正直複雑な問題に思えたりでして)考えていること、できれば当日お伝えしたいこと・みなさんと共に考えたいこと等をまとめてみたいと思い、以下に記してみます。
 まず、これも何度も繰り返し言う言葉ですが、「施設対地域」という構造の中での議論ではなく、今、この現状で(こんな言い回しも好きでは無いのですが)「どんな暮らし(過ごし)」を求めたいのか?(たぶん色んなカタチがあるでしょうし、そうあるべきだと思いますので、答えがひとつだったりする訳も無いとした上での)をみなさんと共に考えていければと思っています。
 只、このことも「言うは易く」、「実際に行うは難し…」だったりで、多くの方をモノ(ハード面?建物?)で対応(モノに収める…むちゃくちゃ語弊ありの言葉ですいません)しようとする際にはどうしても「スケールメリット」的な方向(それが全くの悪だとかというとではなくっての)に傾きがちになる(ならざるを得ない?)ように思えます。
 それは、多くの思いをまとめようとする際にも起こり得る出来事なのかな?と最近思うようになりまして、実は先日、とある調査の同行を依頼され、いわゆる集団住居(ひらたく言うとケアホームですね)を見学させて頂いたんです。
 ケアホームやグループホーム、なんだか当初(どこらへんが当初かよくわかってないのですが…すいません)と違うような方向に進んでいるようでして(たぶん最初は4人くらいが適当とかで、6人とか7人では少し???…的だったのが、8人でも、とか、知事が認めれば10人でも、とか、どんどんと方向が??…と思ったのは私だけでは無いように思います)、そこらあたりはどうなんだということを見てみたかった訳です。
 と言うのは、私たちが見学したケアホーム、まさにそんな流れの中に在り、ある意味批判も浴びている「同一敷地内」「一棟8人」というカタチの作りであった訳です(だから見に行かせていただいたのですが)。
 そのモノ(ケアホーム)を作った(現在は1棟のみで、今後あと4棟を順次作っていく予定なのですが)法人さん、私も古くから仲良くさせていただいていまして、本当に「重い(重度)」だとか「受け手の無い」といった方々を拒まず受け入れてきた歴史ある法人さんなんです(だから仲良くなれたのかと思います、私、医者・看護師・社会福祉法人等が嫌いですので…これもすいません、超偏った表現で…、とってもステキなお医者さんにナースさん、社会福祉法人さんもたくさんいらっしゃいます/自己フォローしときます)。
 で、そんな法人さんだからこそ、これもまさしく「仲間(利用者さんのことをそう呼びます)の思い」、そして「親の積年の悲願」を叶えるというトコロを目指した(目指し、実行できた…と言っても、それだけのモノを建てるだけでもそれはそれは色んな意味で大変な訳です)のであって…です。
 だから、当たり前なんですが、安易な批判だとかは当てはまらず、「じゃあ、お前がみんなの積年の思いを成し遂げてみろ」と言われてできる輩(法人だって)なんてそうそう居る(在る)もんじゃないんですよね。
 …只、だけども、それでも、それでもなんとか、そのあたり(どのあたりだ?って感じですが)こそを今回みなさんと考えたい訳です。
 そんなんで、私たちの取り組み(とってもしょぼくスピード感の無いモノなんですが)というか、考えだとかを少しでも活かす(融合する)ことはできないかといったお話しをスライドに画像も含めて記しています。
 で、なんちゅいますか?のベタな言葉に尽きるのですが、何処で暮らそうが何処で過ごそうが、やっぱり「普通に」がそうなのかと思うのです(のっけから解り難いですが…、普通にも色んな普通があると思うのですが…)。
 重症心身障害といわれる方々、当たり前ですが、決して「特別視」されたり「彼等なりの普通」なんかが在る訳も無く、「ほっておかれ」たり「ひとりぼっち」にされる存在でも無い訳ですよね。
 そんな彼女・彼等から沸々と沸きあがってくる「思い」に私たちはしっかりと添うていく、というか、ちゃんと追いついていかねばならんということかと思っています。
 そう思うと、ここ数年(5年くらいの間にも)、例えば「超重症児」などといわれる方々も増えています。
 が、全くと言っていいほどに彼女・彼等の「力」(生きる力、行き切る力=生活力?)に、私たちの社会(地域・福祉・医療?)は、寄り添うどころか、追いついてもいないんですね。
 ですので?(変な繋ぎですが)、足りないこと、今成ってないことをしっかり見極めて、それが仕方の無いことだと結論付けずに、何処で暮らそうが、何処で過ごそうが「希望・望み」こそが在るべきなのかな…と思うわけです。
 そして、どんな処(トコロ)であろうと、「場」は人が集えるところ・交えるとろでないといけないと思うのです。そして、場所がどうであろうと「人と人が付き合うこと」が大切かと…。
 そんなんで、「みなさんの長年の悲願をここから新たな希望へ」と継続させていければ…、そんな重心施設…というよりは「みんなのセンター」に成ってほしいなぁと切に願うところです。
 ほんとに偉そうな物言いで申し訳在りませんでした。

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