地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

重症心身障害といわれる方々の地域生活はどうなのか(あるいはどうなるのか)?

掲載日:2010年7月3日(土)
報告者:特定非営利活動法人地域生活を考えよーかい

 これまで、重症心身障害(以下、「重心」と記します)といわれる方々が(も)、あたりまえに「地域で生きる(暮らす)」ことができる筈だと思い、こういった活動(と言ってもたかだが10年ほどですが)を行ってきたのですが、ここに至り、例えば「障がい者制度改革推進会議」や「総合福祉部会」での意見を持って(多くは、「施設解体」、「重心施設は人権侵害」という文言に対してのようですが)、それはとんでもないことだという風潮が流れを増強して、少なくとも私の周辺では吹き荒れているといった感すら受けます。
 「施設解体」の言葉の意味もどうなんでしょうか?…ですが、おそらく、私の知る限りのその文言の意味は、決して「施設を取り潰し、親元へご本人さんを帰せ」ということではなく(しかし、そのようなニュアンスで捉えられているように思える機会・場面に出くわす事が少なく在りません)、重心と言われる方々のみに限らず、誰もが「自らの望む場所(地域)で」暮らして(生きて)いけるような社会・地域(世の中)にしていこう(いきたい)ということだと思いますし、決して、「施設を潰す(解体する)」ことが第一義ではなく、そういった(誰もが暮らせる地域の構築)結果の末に施設が「解体(この言葉が、なんだか潰す・壊すという意味を強めているようですね)」されていくということのように思うのですが…。
もう少し言うと、今在る施設が、今すぐに「解体」されていい筈もなく、そんなことは到底無理な事でしょう。
それでも、ご本人さんの「生き方」を考えた際に、本当に向かうべき方向は何処なのか?ということを深く深く(いや、普通に考えれば…とも思いますが)考えたいものです。
こういった思いを述べた際に、幾度と無く言われた言葉として「そんなことは無理(そんなことを言ってできるのか?)」「財源も無い」「重症児・者といわれる者の支援なんてとんでもない(無理)」等があったりしますが、本当にそうなのか?、仮にそうであったとしても、それでいいのか?という思いは持ち続けたいものなのですが…。
只、そんな方向に向かっている間にも、現状で、そういった方々を支えている中核である家人の方々(多くは母親だったりするのですが)は疲弊し、その先(親亡き後)のことも不安極まりないということを私なんぞも充分に感じ得られることなんですが…。
だからこそ、その不安を払拭する為にも、「施設対地域」などという対立構造の組み立て(盛り上げ?)に与するのではなく、「今、必要なもの・こと」、そして「これから・将来必要なこと・もの」をみんなで議論していく事が必要だと強く深く感じるのですが、如何でしょうか?。
私が、こういった活動をしているきっかけとなった原点は、20数年程前、自らが働き始めた「重症心身障害児施設」における非日常的な光景を目の当たりにし、その暮らし(それを生活と言っていましたから)の不思議さ(多くの方が16時前には小さなベットに入れられ=ベット柵がついていましたので「入れられ」のようなイメージとなってます…、翌朝の日勤帯勤務者の出勤=9時以降まで、その小さな牢屋/すいません、良くない表現で/で過ごされて、毎日決まった時刻の起床・就寝、お風呂は週に2回、トイレだってなかなかいけなかったりで…等など)に衝撃を受けたことに始まっているように思います。
私がよく言う言葉に「これでいいのか?」(もちろん最も強く向ける矛先は自らになんですが)という言葉があるのですが、ほんとうに「これでいいのか?」を多くの方々の心の中で考えてほしいと切に思ったりです。
 そうすると「これでいいんだ」という言葉が返ってきたりするのですが、そこには「これで仕方がないんだ」という意味が込められていたりで、そこで言う「これで良さ」は、決してご本人さんの思いではなく、関わる(あるいは、関わらない)方々にとっての「これで良さ(仕方無さ)」なのではないのでしょうか?。
もちろん、そう思う(思わざるを得ない)、例えば親御さんの気持ちも解るように思います。されども、やっぱり、どう考えても、彼女・彼等は決して「特別な扱いを受けてよい・仕方ない」といった存在の方々ではなくって、間違いなく、私たちと同様に、あるいは、それ以上(比較するのも変ですが)に価値のある「人生」を送られている「人々」であることをもっともっと私たちを含めた周辺みなさんは認識しなければいけないように思います(彼女・彼等の「社会的はたらき」(※1)については、ここでは記しませんが…)。
 その上で、やっぱり今はこの現状だけど、決して「仕方の無いこと(特別なもの)」として、それを「それで良い」(ことにしよう)とせずに、今はこうだけど、この先、この将来・未来には、「こういったカタチ」を目指して、そんなカタチをみんなで作って行こうという風潮・潮流は生まれないでしょうか?。
 誰(良識な実践者は)も、アンチ施設なんて思ってはいなく、施設こそが、その機能(絶大なる力)をフルに活用させ、ご本人さんそれぞれが思う生活実態を叶えるべく、本当にダイナミックに転換してほしいと願っているのですが…(もちろん、それが叶うような制度設計が必要なんでしょうが…)。
千葉県柏市の「ばおばぶ」(※2)(・五十嵐さんが言いました『「入所」と「地域」と対立概念であることの理論的な証明はありません。そんな迷信めいたことよりも、ほんとうのことを大切にしましょう』と…。
 まさしく、その通りだと思います。そんなところに力を注ぐのではなく、今の現状から、本当に大切なコトに向かって、みんなで考えてはいけないでしょうか?。
以下は、昨年実施した当法人の「誰もが暮らせる地域づくり事業」の報告書(※3)に記された蜂谷俊隆さんの文書の一部ですが…『障害の重い人が多い施設や重症心身障害児者の施設を訪れると、利用者が何かをもとめるような声を発したり、膝行っている光景があったりして、閑散とした中にも特有のざわつきを感じることがある。』…、全く私自身も同様に、ことを感じていましたし、その声(言葉というカタチではない)の意味するところを感じたり(感じたいと思ったり)したものです。
 こんな記述をすると施設バッシングのように捉えられるのが常ですが、そうではなくって(ほんとに)、そうせざるを得ないとされている(?)コト・モノ・をみんなで変えていこうではないか!と叫びたいのです。たぶん、おそらく、蜂谷さんの言う「特有のざわつき」の中にある言葉ではないメッセージは、そのことを言っているのだと思えるのです。
 なんだか…ですが、そんな状況は「施設」のみに在る訳ではなく、私たちのような「地域生活支援」等と息巻いている実践の中にも存在したりもするのです。
そういった「おかしさ」を地域だろうが施設だろうが無くしていこう、変えていこうという、そんな思いをみんなで共有できないでしょうか?。
ここ数年、全国各地の取り組みを見聞きする中で、多くの重症心身障害といわれる方々が、思いを共にする支援者と共に地域で活き活きと暮らしている実体が明らかになっています。
 そういった実践を感じながら、ぜひ、多くの方々と誰もが暮らせる地域へと思いを共にしたいものです。
 このことは決して重症心身障害といわれる方々のみのことではなく、明らかに生き難い、特別な・仕方のない存在とされている少数派といわれる方々にとっての問題(課題)であるかと思います。
繰り返し述べますが、決して「施設が人権侵害」ではなくって、それを持って人を囲い込む(閉じ込める・沈み込ませる)ことこそが「人権侵害」であると思います。
 現状ではどうしようもないこともあるのでしょうが、それでもそれらを「仕方のないこと」とせず、みんなで誰もが地域で暮らせるような、そんな方向に向かいませんか?(向かえませんか?)。
 おそらく、私なんぞが親しく付き合わせていただいているご本人さんたちは言っています。
 「そんな対立構造を躍起させるのはやめて、もっと本当の私たち(俺たち・僕たち)の思いを前面に出して」と…。
誰もが地域で暮らしたいと思っている筈です。そう信じて、今後に期待(希望)を持っていきたいと思います。




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