地域生活を考えよーかい

地域生活を考えよーかい

医療的ケア実践セミナー2009inOsaka 参加感想書


掲載日:2010年1月13日(水)
報告者:特定非営利活動法人地域生活を考えよーかい

去る2009年12月12日にNPO医療的ケアネットさん(以下にURLあり)主催の『医療的ケア実践セミナー2009inOsaka』に参加させていただきまして、その感想(私的感想なので偏った考えと語弊もあるかと思いますが)を少し記録しておきたいと思います。
12日(土)、定時に到着の予定でしたが、遅れて会場(大阪市立大学)に到着。
既に大阪発達総合療育センター(以下にURLあり)・フェニックス重症心身障害児施設部門看護師の市川雅子さんのお話しが始まっていました。
市川さんは、スウェーデン、イギリス、カナダと研修に渡り歩かれHPS(ホスピタルプレイスペシャリスト)という子どもたち(家族と兄弟姉妹も含めた)へのサポートを学んでこられたということで、ご報告くださいました。
その主眼は「遊び」に置かれ、市川さん曰く「自らを表現することが難しい障がい児たちが、本当は最も遊びたがっていること」、「退屈こそが子どもにとっての最大のストレスである」として、その重要性を実際に見聞してきた画像等でお伝えくださいました。
その考えの根源には「子どもとしての権利が侵されることの無いように」ということで、障がいがあっても家族と暮らすことは、子どもとしての当然の権利である」と述べられていました。
「子どもは家族と共にいることが自然である」という極々あたりまえのことを実際に行っていくということは困難ではあるが、環境を整える事、専門職の関わりがあれば、それを少しでも可能なものに近付けることができると言われ、そのためにも専門多職種とチームを組んで活動の実践を積み重ねていきたいと結んでおられました。
ひとつひとつの言葉が身にしみる思いでしたが、今の日本における社会状況を見据えると困難なことだなぁと思えたりで、労働形態(長時間労働や性差別的職業など)や社会保障制度等を変えていくといった発想が必要なんだと改めて感じさせられました。
更に日本における「重症児」などと言われるお子さんと在宅で暮らす「母親たち」(と子どもさん)の家庭においては、逆に「(少し、あるいは、かなり)引き離す」事が必要(重要)であったりで、やはりその国々の社会構造そのものを含めて考えていかねばいけないことだと感じました。
そして午後からは、私も参加させていただいたシンポジウム『医療的ケアが必要な重症児の「ショートステイとケアホーム」』が行なわれました。
まず最初に杉本健朗さんから「現状と問題提議」ということで、NICU卒業生を地域で受け入れられないのか(支援できないのか)?ということ、更に「医療か福祉か?」といった視点で、医療・福祉双方の報酬額の比較や言葉の意味を再確認し、各種の数値から、その実態(いわゆる家族=多くは母親中心の介護)を示しつつ、それでも変化していく施策に何かを見出してはいけないものかといった(様な)感じで語られました。
特に現状として、厚労省であるとか中医協でも「医療的ケア」という文言が課題としてあがっており、そういった改革を伴わせるチャンスであると仰られていました。
そして、地域での医療的ケア支援のまとめとして、1.パーソナルアシスタント(研修の保障)、2.看護(訪問看護ステーション)の24時間バックアップ、3.救急一時入院(基幹病院)・看護師との連携、4.ショートステイ(入院ではない療育の視点)を4つのセットとし、これが揃ってこその実現である述べられ、地域にも「二階建て事業(福祉と医療の)」を導入していくべきだというお話しでした。
ここには、色んな意味で考える点があると思えていまして、杉本先生の仰ることもよく解るのですが、「重症心身障害児・者施設」によって作られてきたシステム(福祉と医療の二階建て)を地域に…、と、そうなっていく事は良い(それによって様々な職種=ここで言うのは、なかなか地域へと入り込めきれていないように思える医療職という立場の方々の参入が起こるということ)のだとは思うのですが、「今」、現状を鑑みた際(これを言うと、「普遍性」だとかに?がらないと言われ、おそらくそうなのかも知れないとも思うのですが)、むしろ「部分」としての医療よりも「暮らし(生活)」としての医療をと考えるならば、前者が「点」とすれば、後者は「線」、あるいは「面(ご本人さんの部分だけでなく、家人を含めた関係者等など)」として考えなくてはいけない(筈である)中、その「二階建て」の在り方(要するに対価=報酬単価)と、その「在り方」の中に在る「思想(支援思想)」は明確にしておかなくてはならないのではないかと思えるわけです。
このあたりのことを杉本先生は「それ(医療のいう対価)が高いか安いかは別問題として」と言っておられたので、その点のことについても「とう考えていくのか?」という提議でもあったと感じましたし、その部分をもっと深くしっかりと議論していく必要があるように思えました。
私個人の考え方としては、看護師などという職種の方々が、もっともっと自らの姿勢を低くして(あまりいい表現ではないです、すいません)、「部分」ではない、「暮らし」・「人」に全面的に「寄り添う」ことができれば、全てでは無いにしても、少なくない「地域での暮らし」が実現できるように思ったりしています。
少なくとも私たちはそんな思いで、こんな活動を行ってきいたりするのですが(はっきり言って、ほんとに微々たるモノ・カタチでしか無く、拡がりを持たせられないモノかもしれないということも事実かと思います)、そんな流れ、何より、どんなカタチになろうとも、そんな「支援思想」は持ち続けたいものだなと思いました。
西横浜の「レスパイトケアサービス」の創設者でいらっしゃる田中千鶴子さんは言いました、「吸引や注入でしたら私にもできます。私でよかったらお手伝いしますよ。」と。そんな、自らの中から湧き出る「思い」の積み重ねこそが、もっともっとあっていいように思えたりで、大熊由紀子さんが仰る「恋するようにボランティア」を、それぞれの地域でのそれぞれの実践を積み上げていくといったことも忘れず示していかねばと思いました。
続いて社会福祉法人びわこ学園(以下にURLあり)の前事務局長西島悟司さんから、「重症児・者のケアホームの実際」ということで、「ケアホーム太平の現状」を報告下さいました。
滋賀県の重症心身障害児・者といわれる方々の実数やそれらの方々が利用する社会資源等の説明があり、2007年10月に「ケアホーム太平」が作られたということでした。
ケアホームの運営は大変であるということで、滋賀県・大津市の月額117,000円があってはじめて成り立つという状況だそうです。
また、重症心身障害といわれる方々、その体調によって入院になってしまうと、たちまち事業収入が減るということ、利用者さんからするとホーム利用と通所施設の自己負担をあわせると10万円程度が必要となり、年金等の収入が凡そ11万円なので、手元に残る額は1〜2万円で、施設入所者と比べると手元に残るお金が少ないこと、よって家賃を下げるとすれば、家賃補助(横浜市のような)や建物(建築)への補助が必要であるのではないかとの報告がありました。
滋賀県、福祉先進地ということで様々な取り組みが知られていますが、重症心身障害といわれる方々の地域生活支援というのは改めて大変なんだなぁと実感したり、多くの「入所待機者」がいらっしゃるという現実と、その為にもの(語弊が在る表現かも知れません/また、その為のみではなく)「ケアホーム」の整備が望まれるといったニュアンスには抵抗が残るのですが、「10名くらい(の利用者数)でやっていけないのかも知れない」という報告も現実を顕にする言葉でした。
そんな事も含めて、まだまだ多くのことを考え、行っていかねばと思える内容でした。
続いては、兵庫県に5つめの重症心身障害児者施設としてできた「医療福祉センターきずな」の院長でいらっしゃる常石秀市さんが「重症児施設のショートステイの現状」というテーマでお話しくださいました。
80床のベットが満床ということですが、新しい施設ということもあって入所者さんの平均年齢は若く22歳ということで、3歳未満の子どもさんが10名、3〜6歳が14名と凡そ半数が未成年ということでした。
また、たいへん重いとされる入所者の方々の割合も高く、人工呼吸器使用されている方が10名、気管切開されている方が26名、径管栄養をされている方が41名ということでした。
「入所施設」という響きにどうもアレルギーがあるのですが(すいません)、その需要(という言い方で良いのかよく解りませんが)は凄まじいものが(やはり)あって、報告資料にある「入所前の状況」を見ると「8名は生後ずっと入院」だとか、「虐待・育児放棄」といったことがあり、そんな状況を見る度に、なんとも言えない思いが自らの心中に拡がりました。
常石先生も仰ってましたが、「あえて大変と言われる方々をお受けしていく」というスタンス…、ほんとにそれが社会的貢献という意味において素晴らしいことなんでしょうが、この社会に欠けている(と言えるように思う、のですが、間違いかも知れません)部分(かなり広大な部分なので、部分という言葉では当てはまらないようにも思えますが)をしっかり捉えなければ…と思いながら、先に記したケアホームの課題についても、多くの方々の=現社会の仕組みが持たせる「不安」の解消は、こういったカタチこそが最も対応できるのだとすれば、ほんとに私たちの活動の微々過ぎることだとかを感じざるを得なかったりで複雑な思いで聞き入りました。
また「レスパイト」と共に「緊急時」の受け皿としての機能も期待されている訳ですが、「予備診療なしで乏しい情報のみで初診あずかり」を行なわねばならないといったこと、「基本的に在宅中と同様の医療的ケアを継続する(呼吸器管理や頻回な吸引等)」といったことを例として、その困難さが伝えられました。
そういった報告から、「短期入所難民」という言葉を用い、「利用者の重症度が高まり、高度な医療的ケアが必要になっている→それに対応した人材確保が困難」、「在宅ケア内容と同様のケアを要望される」、「普段の状態把握が不充分なため、職員のストレスが大きい」、「ケア方法に統一性が無く、病棟としての効率性が保ちにくい」、「感染蔓延」、「利用中の体調不良が家族とのトラブルとなる」、「少数の長期ステイ例やリピーター例がベットを占拠し緊急時対応のベットがない」等、様々な問題点を提議されていました。
ここも本当に悩ましい「問題」で、「重症児施設との距離感(物理的な距離では無くて、普段から利用・関わりを持てるかといった距離)」を感じてしまうところです。
「普段から」などとはよく言われる言葉なんですが、その「普段」を「共にする機会」すらなかなか考えられないといった状況で、この「緊急時の対応」というのは困難極まりないものかと思えました。
ほんとに普段の生活として関わる中に「緊急」があればと思うのですが、誰にでもある緊急という事態に、特に「支援度が高い」とされる方々には(にこそ)、普段からの充分な周辺からのアクセスが有るべきで、逆に言うと、それら「支援度が高い」とされる方々が、もっともっと他者と関われる状況を作っていかねばと思えました。
その為には…と考えると、やはり今は、医療職という方々も「暮らし(生活)の視点」に立ち、積極的に関わっていくことが必要ではないかと思え(るだけかも?)ました。
続いて私からは「生活支援としてのショートステイ」ということで、「しぇあーど」における取り組み(と言っても複数の事業を重ねて行なう生活支援)の実際や利用者みなさん像や働くスタッフの労働環境等をお話しさせていだき、短期入所における制度の矛盾点、単独型短期入所事業のこと、民間事業者(あるいはNPO活動としての)今後の方向性等をお話しさせていただきました(下記に発表資のURL記載)。
もう少し時間があれば、私たちの考え方としての実践の詳細をお話しできたのですが、叶わずでした。
続いて、栃木県ひばりクリニック併設重症障がい児・者レスパイトケア施設「うりずん」管理者でいらっしゃる高橋昭彦さんから「医療的ケアが必要な重症児の日中レスパイトの実践-民間診療所の取り組みからみえてきたもの」と題しての発表がありました。
「うりずん」の高橋医師、これまでにも様々なところで話題になっている取り組みで、「重症心身障害」といいわれる方々を「医師(が中心となって)・診療所」として対応していくといった新しいカタチで注目していました。
対象となる方々(重症心身障害といわれる方々)の説明については省略しますが、高橋Dr、そういった方々の「預かり」を行なう決意として「やらない理由を考えない」ということで、退路を断って「決意表明」を行い実践されてきたということです(詳細については、ひばりクリニックHP/以下に記しています)。
2007年2月に「人口呼吸器をつけた子どもの預かりサービスの構築」(2006年度在宅医療助成勇美記念財団助成事業)(以下に資料のURLあり)として110万円の助成金で研究事業として開始し、その研究を契機に宇都宮市が新事業として「宇都宮市重症障がい児・者医療的ケア支援事業」を創設されたということでした。
事業に係る費用は次ぎの通りで、「気管切開による人工呼吸器装着(区分A)」の方が4時間まで12,000円、4〜8時間24,000円、「たんの吸引、径管栄養、導尿ガ必要(区分B)」の方が4時間まで7,500円、4〜8時間で15,000円(内、利用者負担が4時間まで500円、4〜8時間までが1000円)ということでした。
「うりずん」のスタッフは常勤看護師が1名、常勤介護福祉士が1名ということで、利用者定員が3名、営業日時が、月〜土の10:00〜16:00、2009年10月末の利用登録者数が10名、人工呼吸器装着者が3名、径管栄養・気管切開されている方が7名ということでした。
お話しを伺う中で、やはり小規模な診療所での事業採算という点においては「大変」であるということ、そして、その実践から見えてきたことや地域生活に必要なことととして、次のことをあげられていました。
効果として、兄弟姉妹の行事・夫妻での外出が可能となる、障害者自立支援法による制度の為、身体障害者手帳あるいは療育手帳が無いと利用できない、アセスメント及び連絡調整をする人材がいない、移動手段の確保が必要、子どもにとって楽しい場であることによって預ける親は罪悪感を感じないということ、24時間体制の訪問看護の必要性、地域の主治医、日中レスパイトを日常的に身近なところで、小児在宅ケアのコーディネイターの必要性、といったことをあげられていました。
こういった医師という職種の方が気付き実践していくといったカタチがもっともっと地域に増えればと思えました。
また、実際にお会いさせて頂き、高橋昭彦さんの真摯で誠実なお人柄を感じることができました。
次に、拓桃医療療育センター地域・家族支援部の田中総一郎さんから宮城県の状況をお伝えいただきました。
まず、宮城県では「障害の有無によらず、全ての子どもが地域の小・中学校でともに学ぶ」ということで、宮城県障害児教育将来構想として仙台市で23人のモデル事業を行っているということでした。
続いて今回のテーマでもある「ショートステイ」について、事例(「医療的ケア」を要する方の医療機関を利用した一般入院)を持って、その困難さを示されました。
仙台市での重症心身障害といわれる方々、特に医療的ケアを要する方々が利用できるサービス事業所は「つどいの家」(以下URLあり)の2ヶ所のみ(仙台市障害者家族支援等推進事業という)ということで、利用料が、登録料として10,000円、1泊(17時〜翌10時)が7,300円、日中利用が1時間当たり800円ということでした(対応は看護師・介護人の2人体制ということでした)。
その取り組み等から、田中さんは「医療レスパイトの課題」として、看護師不足(固定の看護師が雇用できない=出来高払いのため、夜間宿泊できる看護師が少ない)や医療機関のサポートが手薄(非医療法人が実施しているため、緊急対応・相談先が未整備で、特に土・日・夜間の看護師の不安が大きい)といったことを「ニーズは高いが伸びない」理由としてあげられていました。
また、「利用者の安心」という視点から、「関係性」を重視すると費用及び時間の双方を充分にかける必要があること等からも「伸びない」理由と指摘されていました。
更に病院としての役割として、「病院から地域への一方通行ではなく、医療機関と在宅生活の橋渡し」を大切に、安心して預けられるベットを用意する義務があると示されていました。
更に(が続きますが)、増える需要(濃厚な医療が必要な子どもさん)に対して「医療レスパイト(一般病院扱い)」を始め、ベットを確保するようにしたとのことでした。
只、その際にも、人手(の少なさ)の問題や病院の事情によって「必要な際に利用できない」、「なかなか関わりを持てない」ということが起こり、利用が伸びない一因になっているとも示されていました。
そして、田中さんも高橋さんと同様に「行って楽しくなるようなショートステイ」であるべきと仰られ、医療機関のスタッフの意識の中に「生活を支える(道具の一つとしての)医療」、「病院の中であっても楽しく生きる」といったものを大切にしていきたいと述べられていました。
そして最後に「生命を守ること/医療の支え(ひとりひとりの自分らしさ)」、「生活の大切さ/暮らしのにおい」、どちらも大切に、得意なところを大切にしながら、足りないところを取り入れて、よりよいものへと結んでおられました。
田中総一郎さん、先の高橋昭彦さん以上に親しみ感のある懐深い人間味(暖か味)を感じさせていただける方でした。
こういったDrが、もっともっと地域に増えてくれればと繰り返し思いました。
続いて下川和洋さんからは、「都内の短期入所およびグループホームの現状と課題」ということで報告がありました。
下川先生には、これまで私たちの法人のフォーラム等も含めた数々の場で、多彩な情報・実践をお知らせいただいていますが、今回も都内の重症心身障害児施設等での各事業(入所・短期入所・医療入院・A型通園・B型通園)の定員数や偏在図、学齢要医療的ケア児居住地別在籍状況・人口比等を図解で示していただきました。
そして、現状と課題として、「緊急時に利用しにくい(ベット数は多いが2ヶ月前からの予約による調整が行われている現状)」、「長期入所待機者の利用で実質ベット数は減っている」、施設の事情による実質ベット数減(看護師不足や入所者の重症化など)」、「土日の入退院が困難(医療機関なので入退所には医師の診断が必要)」、「日中活動の保障(学齢児は訪問・分教室・通学により、成人は重症児通園、生活介護事業所等へ)」、「サービスの多様化(療護施設や生活介護施設等が短期入所や日中一時預かりを実施)」ということをあげられました。
また、東京都における「重度身体障害者グループホーム」についても、その事業内容と所在地等の説明がなされ、現状と課題として、運営の困難さ(地代・家賃が高く場所の確保が困難=利用料への影響)、事業要綱の問題(医療的ケアを要する方は利用しにくい)、看護師の自費派遣等により医療的ケアを要する方の利用もある、医療機関との連携・訪問系サービスの利用・活用が必要等と示されました。
下川先生、現役の教員でありながら様々な活動を通じて医療的ケアを要する方々、また私たちの様な支援者といわれる者にとってもありがたい情報を発信いただけるほんとにステキな方(お人柄も)です。
そして最後に、医療的ケアオープンネットワーク神奈川、ソレイユ川崎の施設長でもいらっしゃる江川文誠さんから「神奈川県の現状」の報告がありました。
ここでも、東日本における重症心身障害児施設の地域支援への資源の足りなさ、稼動の低さ等の指摘があり、「医療的ケア」に係らず、「人」への支援サービスは、「関係性」を持ってこそ稼動し、その需要が数として現れるものだという印象を改めて持ちました。
また、江川先生は、自らが嘱託医でもあられる横須賀市の「みなと舎・ゆう」(については、私のしょぼい見聞録などもあります/以下にURLあり)について、その取り組み(医療的ケアに対して非医療職が積極的に関わっていく、また関われるシステムづくり等)や、みなと舎さんが運営する二つのケアホーム「はなえみ」と「はなあかり」についての運営状況(利用者みなさんの給付量や事業運営費など)も交えて、それぞれ(今回のテーマであるショートステイとケアホーム)についてお話し下さいました。
みなと舎・ゆうさんについては、その取り組みが実に工夫されており、私自身も実際に見聞させていただいた中で、横浜市の朋さんとともに先駆的なカタチとして参考になるものかと思います(但し、そんな中にも、これまでに積み上げてきた活動によって得られた環境もあるのですが)。
8名の報告・発表を終え、フロアからの質問・意見にお応えしていくといったカタチだったのですが、やはり時間が少なく充分な検討には至らずでした。
当日及び翌日(私は1日目のみの参加)を通し、今回の医療的ケアセミナーでの「大阪宣言」が出されました。
その文言内容に、私個人的には馴染めない部分もあるのですが、「医療と福祉の融合」をキーワードに【地域福祉領域】では「パーソナルアシスタント」を目指し(確立し)、訪問看護との連携、重度訪問介護での長時間支援の模索、併せて小規模多機能化をめざすこと、通所施設においても「看護師の積極的配置」や在宅(等)での日中活動的視点を持った訪問介護等の多機能化を目指すのが有効であるとしています。
また短期入所機能を持つ福祉施設にも、看護職の積極的配置を行い、医療的ケアを必要とする人の受け入れを検討すべきであるとしています。
【一般病院領域】では、地域の中核病院は「レスパイト入院」、「医療型ショートステイ」を行い(制度化できるシステムづくりを行う)、利用中の「ヘルパー利用(併用)」を可能とし、日中は地域の施設に通う(あるいは病院内に介護職をいれる)こと等の工夫が、より質の高いショートステイにするために有用であるとしています。
また一般診療科(診療所)については、地域施設等での嘱託等の立場で、医療的ケア支援への理解と側面的支援を行うことが必要であるとしています。
【在宅医療領域】では、地域生活支援の「要」としての24時間相談応需体制の確立と地域福祉領域の訪問介護事業所との連携に積極的に取り組むこと、療養通所看護等の訪問看護自体の多機能をもって取り組むことが有用な手段となるとしています。
また、訪問診療を中心に担う診療所においては、福祉系の現場(訪問介護、通所施設、ケアホームなど)を積極的に支援すること、日中一時預かりやショートステイ、あるいは訪問看護等多機能化を図ることで、医療的ケア支援の必要な人の地域生活を支える医療の要になることが期待されるとしています。
【重症心身障害児施設】では、ショートステイの圧倒的不足から、ベット数を増やすための事業課題を明確にし、行政と共に増床する努力が求めらるとし、NICUを含めた長期入院の超重症児の受け入れ枠を増やすための課題を明確にし、ニーズにあった新しい重症児者施設を目指す必要があるとしています。
最後に、重症児・者入所施設は、福祉と医療(保険)の二階建て事業で、重介護、療育を保障してきたとし、地域で生活する重症児者にも同様の福祉と医療の両面からの支援システムが必要であると括っています。
凡そ、的を得た指摘であると思われます(偉そうですが)が、この整理方法で見ると、やはりまだまだ病院・施設と地域での資源の融合が成されていないのが浮き上がる事と、「福祉」と「医療」の違い(?)(人の暮らしに対峙した際に)はどうなんだ?といったような(解りにくい)感を持ってしまいます。
要するにはネットワーク、多機能化(必ずしも同一事業者のそれでなくとも先のネットワークで覆える?)、そしてやはり医療(職)といわれるモノ(あるいは者)の立ち居地も深く考えていく必要があると思いました。
二階建て理論にしても、最も有るべきカタチなのかも知れ無いのですが、同一人物を支援する際の「一階」と「二階」(「医療」と「福祉」、あるいは「福祉」と「医療」?)の違いがどうなんだ?(繰り返し)という気がせずにいられずで、具体的な物言いですが、二階建ての際の両者の均衡は、より均一に近く保たれるべきかと思われました(が、それが最も困難なようにも感じます)。
そして、どうしても抵抗のある文言としての「福祉と医療の二階建て事業で、重介護、療育を保障してきた」の部分で、私自身のみがそういった実感が無い為か(20年程の経験しかありませんので)、(あらゆる場面で、と言うか、大抵の場面で)そこ(それ)を保障してきた(できてきた)のか?という点をもっと顕にした上で、二階建てなりを考えていかねばと思ったりで、私のみの超私的な思い込みのみかも知れませんが、語弊かもと思いつつ記しておこうと思います。
それと、二階建ての仕組みの構築は目指すにしても、何をおいても「今」は、もっともっと医療職・福祉職に限らず、枠組み内と、そこからも外れるコト・モノなどを併せ持った上で地域生活支援に向かわねばと思えてなりません。
福祉と医療の融合も、やはり、それぞれに関わる、と言うより、福祉だの医療だのと言うりもの「本人主体(中心)」を基準に(よって)のみ有り得るようにも思え、こういったセミナー等から得た期待・希望をシステムの構築と共に、目の前の「人」にエネルギーとして向かわせたいものです。
にしても、当日はじめ、準備期間からその後にも、様々な方々と様々な議論や出会いをもたらせていただけたことに心から感謝いたします。

本文終了


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